不登校ブログらしく、不登校の考察してみます。
最初にお断りしておきますが、私は不登校を問題だと思っていません。
不登校をはじめとするいじめやひきこもり、発達障害などの子どもの困りごとが、社会の構造から起こっていると鳥瞰的な視点で見ています。
うちの子は何で不登校に?私の育て方の問題?と近視眼的な原因追求をしている限り、同じところをぐるぐるするだけだと思っています。
ちょっと疑問に思ってみてください。
どうしてこんなに不登校が増えているのか。
どうして発達に問題のある子どもが増えているのか。
それは、各家庭、各個人に原因があるのでしょうか。
私はそうは思いません。
子どもが不登校になった、引きこもりになった、という方々のブログを見て、感じることを素直に書きます。
批判は承知の上です。
最初は不登校を受け入れられず、力技でなんとか子どもを動かそうとした。
でも、無理だった。
ますます状況は悪化する一方。
ここで、思春期外来や心療内科等、病院で診てもらう方も一定数いて、仮に発達障害などの診断をもらうと、どこかほっとします。
だったら仕方ない、と。
普通?の子とは違うのだから、この子に合った対応や声かけをしなくてはならない、と。
だから当たり前に学校に行くのは無理。
でも、やっぱり行ってほしい気持ちとせめぎ合う。
なぜなら子どもの将来が不安だから。
学校に行かなかった子の将来は絶望的だから。
本当にそうでしょうか?
ずっとそんなモヤモヤを抱え、私が子どものいちばんの理解者であらねばならないと言い聞かせ、素直な気持ちに蓋をし、ずいぶん子どものわがままに振り回されるお母さんが多いです。
で、そんなブログにはすごい数のいいねが。
わかります!うちもよくそんなことがあります、大変ですよね、といったコメントも見かけます。
うーん
言葉は悪いけど互いの傷の舐め合いに見えます。
それで子どもはどうにかなるのでしょうか。
どうにかなってるケースを私は見つけたことがありません。
たまたまなのかしら?
思考は、重いほうが引っ張る力が強いそうです。
こういう家庭は、親も子も互いが重い思考に引っ張りあっています。
疑いのエネルギーは重く、信頼のエネルギーは軽いのです。
ご本人がそれで満足しているのなら、外野がとやかく言う必要がないことはわかってます。
でも、この手のブログは、どんなにたくさんのいいねをもらっても、変わらない現実に対する絶望的なエネルギーがずっと消えないのです。
過眠症患者会(NPO法人日本過眠症患者協会)登録やめといた
眠くなってしまう病気を周囲に知らせる「過眠症マーク」
先日、この「過眠症マーク」を申し込もうと思い、過眠症患者会のWebサイトを閲覧していたのですが、この団体様のウェブサイト(しかもトップページに)会員様の実名や個人情報を晒した誹謗中傷やら、暴言暴力的な文章やらが掲載されていたのでした…
もちろん入会を控えました…
『過眠症患者会』『日本過眠症患者協会』の団体名で検索してみたところ
案の定、他の方からも同じ話題がチラホラ
https://mobile.twitter.com/utauryt/status/1487019009770160128
https://twitter.com/RoyceSoboro/status/1495002803365842948
https://mobile.twitter.com/rkgk_E/status/1535638899409965056
https://mobile.twitter.com/webcode3041/status/1528056699835166720
https://twitter.com/JBgs73zj/status/152789366817858764
今度、睡眠リズム障害患者会、日本ナルコレプシー協会(なるこ会)、起立不耐症と起立性調節障害の会などなど
他にも登録しようと思っていたのですが
怖くなって登録出来ない
考えごと
学校とも色々あったが、先生がプリントを取りに来てと言うので定期的に学校にも顔を出すように息子に話した。
それは息子を学校から遠ざけたくなかったからで、いつかはまた学校に行けるようになって欲しいと思っていたからだ。
ただ、学校の友達に会う時間は避けたかったので、みんなが下校した後にプリントなどを取りにいくことにした。
また、勉強の遅れがないように自宅で学習し、単元のテストは時間外に学校で受ける事にした。
テストが良い結果でも、成績にはあまり反映されてはいなかった、、。
みんなと一緒に受けないと、問題を知っていて受けている状態だと言うことなのだろう。
結果ではなくて適応指導教室と、学校に行けているだけで頑張っていると私は思った。
終業式
終業式は勿論欠席。
仕事が終わったあと、息子を連れて学校に通知表を受け取りに行った。
担任が1人で職員室にいた。
お世話になりました。
そんな言葉が出てきた。
今思うと、なんで私たちの人生をめちゃくちゃにした先生にあんな最後の言葉を言ったのか。
先生にしたら、教え子の1人でしかなかったかもしれない。
でも、先生が担任ではなかったら、あんなに苦しまなかったし、きっと今とは違う生活があったのだと思ってしまう。
先生、私たちの平和な日常を返して。
もう、戻れないし、あの時はやれる事は全てやった。
でも今でも、ふと思い出した時には悔しくてたまらない。
こんな事になるなんて思ってなかったから。